人間誰でも、ストレス源という名の『荷物』を担いで生きているわけです。
どれだけの荷物を持てるかは、人によって異なるけれど。
担ぐ重さx時間がある程度大きくなると、いつかは限界が来て『折れて』しまう。
これが『うつ病』の基本的な事象だと思います。
ある意味で当たり前の話ですし。
また物理的に『重い荷物を担いでand/or長く運動をしていたら骨が折れる』のに似ていますよね。
だから友瀬は『精神の疲労骨折』と表現しました。
で、以下、いろいろ思うことを。
- 荷物を持ちすぎて負担がかかるのだから、まずは荷物を降ろさなければならない。
だけどこれが、ものすごく難しい。
- なぜならば、往々にして『その人間の人格に基づいて』発生している荷物だから。
- また、仕事に起因する『荷物』は、非常に断りづらい。
自らの職・首をかけることになるから。
- 気をつけなくてはならないこと、その1:自分自身の体重もまた荷物である、ということ。
- 重い体重を支えていては、足の骨が折れるという形で再発するだけです。
物理的骨折であれば『ダイエット』『体質・生活改善』に当たることを、精神的にもやらないとならないのです。
- 休んでいた故の『貯まってしまった仕事・遅れに対する義務感』なんてのが、休んだ間についた『無駄肉』であり。
当然『ダイエット』対象にすべきです。
- 『好きで体調崩した』わけじゃないのですから、仕方ないじゃないですか。
謝罪と感謝は示して、それで手打ちにすべきです。お互いに。
- うつ病になりやすい人の『責任感が強すぎる』なんてのは、『体質・生活改善』すべき点でしょう。
- 往々にして『再発させないために』と言って『自分の荷物を増やす』努力をするんですよ。責任感強いから。
そうじゃなくて。やるべきは『他者に荷物を分散する』ことなんだと思うよ。
- 『劣等感』『被害妄想』『すぎたことを悔やみすぎる』なんてのも、無駄肉でありまた改善対象。
- 気をつけなくてはならないこと、その2:好きでやっても荷物は荷物。
- 骨折後に筋力がおちたら、それを元に戻すために『体を動かしなさい』ということは指示されるはず。
だけどそのために例えば『登山』を選ぶのはダメ、という話。
確かに体は動かすでしょうが、おそらく医者の言う『体を動かす』の想定範疇には含まれていない。
- うつの場合でいえば。単純な人付き合いってのはそれだけで結構なストレス源だということを認識すべきです。
『相手の話を聞いて、考えて、自分なりの考えを返す』という行為自体はもちろんですが。
『それが相手の目にどう映るか』というのを考える『気遣い』もまた、大きなもの。
- これは、好きでやっているか否かに関係ない、ということにも注意すべきです。
『楽しいから疲れない』なんてことはなくて、むしろ『楽しくて気づかないだけで、ものすごく疲れてる』ことだってある。
ドーパミンは麻酔であり麻薬なのです。
まあ、難しいんですけどね。
うつ病になりやすい性格の1つである『責任感が強い』ってのは、美徳の1つです。
美徳である以上、基本正しいし、故に周囲がそれをやめろとも言いづらい。
やっている側も自分の人格を構成する『正しい』一部となっているので、変えづらい。
これがうつ病治療の難しさなのかな、と思います。
友瀬の上記理論的には、ことうつ病にとってはこれは悪徳です。前述の通り。
『出された食事は残さず食べる』ってポリシーに近いかな。
そのポリシー自体は正しい。正しいけど、毎回『腹12分目』の完食で太っていくのは適切ではないでしょう。
何もいわなければ、毎回同じ量の食事が出てきます。
『多すぎる』という主張をすることは、必要なのです。
ついでに言うと、さ。自縛的ではあるのですが。
友瀬たちの趣味である『非電源系ゲーム』って、うつ病にはやさしくないモノかな、と思う。
- 端的に言うと、遊んでいる最中は楽しくて『上がる』んだけど着実に『荷物』は増えて、反動がくるタイプの趣味だと思う。
- 例えばボードゲームは、戦術・戦略の観点でものすごく頭を使う。
これは典型的な『荷物』なんだよ。
- 繰り返すが、ゲーム中は楽しいから荷物==負担がたまっていくことに気づけないのが問題。
ちょっと息を抜いたとたんに、どっしりと重い負担がくる。
- TRPGもボードゲーム同様に、戦術・戦略観点での負担は発生する。
そしてそれに加えて異なる勝利条件ゆえの負担がある:『味方との役割分担・協調、そしてそれに基づく全体の勝利』。
- ボードゲームが往々にして『自分の勝利のために自分の考えを主体にして動く』のに対して。
TRPGでは『全体のために個を殺す』部分がある。戦闘シーンでも、調査・会話シーンでも。
- 言ってみれば『会話と妥協点探し』というストレスね。
もちろん人によって程度の差はあるとは思う。
『わが道を行く』人にとっては、TRPGはより負担になることが多いだろうし。
コミュニケーション好き・得意な人は、どちらかというとボードゲームのほうが苦手ではないだろうか。
ただいずれにしても、ストレスなしでプレイできるかというとかなり違うと思う。
ご意見などがあれば。
整理といっても、なかなか散文的にはなっちゃうのですが。
とりあえず、友瀬の立場は?†
一言で言ってしまえば、『狼少年の自爆』かな。
あのロゴは、本当に佐野氏が考えて創りあげたモノなのかもしれない。
少なくとも盗用の証拠はないし、『創った』痕跡もないじゃない。
でも説明のやりかたが悪く、また他の『コピペ仕事』の発覚もあって人としての信用を失ってしまい。
『自作だ』と言っても『信用できない』『盗用だろ』と判断されるようになってしまった、ということ。
友瀬的には、あのロゴが『盗作か否か』を判断できないし、する気もない。興味もない。
正直疑わしいのは事実だが、これくらいシンプルなデザインなら『偶然似る』ことは当たり前にある。
どちらであると証明しようとしても、第三者にとっては『悪魔の証明』レベルだ。
オリンピックロゴは、どう思う?†
本筋ではないけど、とりあえず。
『盗用か否か』疑惑は別にして。
あのロゴ、友瀬的には初見の段階で、微妙な感じを受けていた。理由は以下。
- なんでこんな『暗い』デザインなんだろう。
- なんで『T+L』なんだろう。
- T だけなら Tokyo なんだろうから、わかる。
なんで L があるんだろう?
友瀬の思う、オリンピックロゴが疑われた理由。†
トータルとしては『他のコピペ仕事』に起因する疑惑が大きな要素なんだけど、それはあえて抜きにして。
オリンピックロゴ関連だけに注目した場合、佐野氏陣営の説明もまた『疑惑を生む』形になっていた、というのがポイントだと思う。
以下、時系列に沿って記載・分析してみる。
- 理由1:そもそものデザイン:『L』っぽい意匠について。
- 前述の友瀬コメントの内容の話。
素直に考えて、『L』が含まれているのが不自然に感じられる。
- 『普通ないはずのものが、ある』ので、違和感を持たれるのは当然だろう。
ただしこの時点では、ただの違和感でしかない。
- 例の『似たロゴ』が発見される。
そうすると、先の違和感が不審に変わる。
- 『盗作』だという仮定が、違和感に対する『合理的な回答』としても成り立つのがポイント。
- もちろんこのあたりには人による感覚差はあると思うし、『絶対盗作』といえるわけでもない。
ただ『似てるよね〜』と振られたらほとんどの人が『確かにね〜』というだろう。
- ちなみに友瀬は、この"L"については次のような解釈もしていた:
右上の日の丸を「O」であるとみなして、このロゴは実は『TO』と『OL』をマージしたものでは。
否定されちゃったわけですが。
- 理由2:最初の説明「日の丸オマージュ」の弱さ。
- 『L』に対するコメントとして。
左上・右上の逆扇の円弧を使って、内側に大きな円をイメージさせることがあったらしい。
この円が、実は1969年の東京オリンピックの「日の丸ロゴ」のオマージュ、と。
- 言っていること自体は、説明されればなるほど、わからんじゃない。
わからんじゃないが、正直、そうは見えないのが弱い。
説明されて、その意図で理解してみようとしても、『L』のほうが見えちゃうんだよね。
- 理論的にも当然の話で。
逆扇形の円弧は『大きな日の丸』全体の1/4程度で、そのサイズの幻視円を得るには小さすぎる。
また、黒四角・赤小丸が『色的・位置的』に強すぎて、幻視の円弧を育てるどころか叩き切っている。
・・・一流のデザイナーがそんな当たり前のことも気づかないこともないだろうに、と。
- つまり『主張をデザインから実感しづらい』ので、相手が納得して受け入れづらいのだ。
受け入れづらいから、むしろ『嘘をついている』不信が生まれてしまう。
- 理由3:次の説明『ブロックフォント』による矛盾。
- 『ロゴ構成要素をブロックのように組み合わせて文字を作る』という話。
- 何が矛盾かというと。
この『フォント』案の内容自体が、上記理由2で主張した「日の丸オマージュ」を真っ向から否定していること。
- なにしろ、アルファベット26文字+数字10文字+記号7種の40以上の文字で。
「日の丸オマージュ」要素があるのは、幻視的な『T』と日の丸そのものの『数字の0』のたった2文字だけだ。
- 『T』に本来含まれない『L』的要素を作ってまで、オマージュする気なら。
他の文字でだって、もうちょっとがんばる・がんばれるだろうよ。
- 例えば『C』。もし友瀬が「日の丸オマージュ」を意識して考えたら、左上・左下の『逆扇』は180度逆に置くと思う。
『U』の下側も同様。
せっかく「オマージュ」にかぶせられる位置にある文字の円弧を、なぜわざわざ『逆向きに置いて』つぶしてしまうのか。
- 結果、主張している「日の丸オマージュ」の考えについて『ホントかよ』という疑念を与えてしまう。
先の「TLロゴ自体の日の丸オマージュの弱さ」も加味され、
むしろ『そんな嘘をついて、何を隠してるのさ』という不信を生んでしまう。
- 理由4:『事前案』による信頼の破壊。
- 「ブロックフォント」の後で、審議会担当者が出してきた『T型』のロゴ。
- とりあえずこれ自体の『パクリ疑惑』とか、『受賞作と本番とで違いすぎ』とか、そういう疑惑・課題は別にする。
- 大前提として、ここまでの流れですでに『不信の空気』があるので、
そこからひっくり返すのは難易度が高い状況だったことは、事実だろう。
だがそれを考慮に入れてもこの発表は、それ以前の発言との整合性が無さ過ぎ、いかんともしがたい。
- 第一に、この『T型』によって、佐野氏が上記2で主張している「日の丸オマージュ」がいっそう胡散臭くなった。
『T型』には一切円弧がないので、こちらの主張を信用するなら『オマージュなんて考えてなかった』と言っているも同然なのだ。
- 第二に、佐野氏の上記3の「ブロックフォント」会見についても、悪影響になる。
こちらの主張が原案だとするならば、なぜ先の説明では『T型の△』版でなく『円弧を含む』ブロックになっていたのか。
- さらに言えば、主張2・3での会見は、『パクリだろ?』→『ちがう、こう考えた実績もあるんだ』という主張をするため。
なぜそのときに『T型』の話をしなかったのか。
- いろいろ不整合なので、どの発言を信用しようとしても他のどれかが嘘に見えてしまうのがまずい。
擁護側を信じると、佐野氏の発言がでまかせっぽく聞こえてくるし。
佐野氏発言を信じればこの擁護が怪しくなり、デザイン業界の体制が疑われる。
- 結果、『どこをとっても信用できない』状況になってしまった。
注意して欲しいことは。
上記説明全体を冷静に・時系列に整理して眺めると、佐野氏陣営が『正直に言っている』ようにも取れるということ。
例えば以下のように。
- 原案は、ブロック的パーツを作って、それを並べた『T型』だったんだ。
- このブロックを使って「ブロックフォント」も作れる、ってことを考えていたんだ。
- で、これでコンペにでて優勝したんだ。やった!
- ただ、これだけだとオリンピックぽくないってのはあって。
そこで日の丸オマージュ・逆扇要素を入れたんだ。
- 『T』の上二つだと円に見えづらいから、3隅にいれる案とかTL案とかも検討して、TL案にしたんだ。
- 逆扇版を使って、ブロックフォントも作り直してみたんだ。
- でも後付だったから、このフォントには「日の丸オマージュ」は入りきってないんだ。
上記のようなステップだったと見ることは十分可能で、理解できなくもない。
特に興味深いのがブロックフォント。
上記の順であれば、ブロックフォント検討時点では『オマージュのための逆扇型』という要素はなく、単なる△パーツだった。
だとすれば、前述の "C" での△の置き方は、非常に妥当に見える。
後出しの『神の目の意見』ではあるし、そもそも上記の流れも『友瀬の推論』でしかないけれど。
もし上述のような『時系列全体の説明』を最初から、遅くとも説明会見時点で出していたら、心証は違っただろうと思う。
少なくとも佐野氏および委員会にはそうする選択肢は十分にあったわけだし。
まあ、実際にはこれ以外の『別仕事でコピペしてた』という事実が出てきたので。
もし時系列で全部見せたとしても、トータルで『信用できない』となってしまったでしょうけどね。
ご意見などがあれば。
- ○CiANさん
こちらも反応遅れて申し訳ない。
難しい問題ですよね。応募資格もそうですし、その後の『採用後の変更』の話を含めていろいろ不公平に感じるのは間違いないです。
でも現実問題として、無制限にすると『一次審査』のためのコスト(人にしても時間にしても)がどかんと跳ね上がるわけで、ある程度フィルターをかけたい、という気持ちも理解できますし。 -- ともせ%管理人。
- 遅レスですが。私は盗用云々に関しては興味も関心もありません。むしろ気になったのは、応募資格の厳しさ。どのような分野であれ、新しい才能は常に下から出てくるんです。応募資格を無制限にするのは流石に如何なものかと思いますが、『過去の栄光』を持たないが故の『新しい感覚』をシャットダウンするのは、どうにも感心しない一件でした。 -- CiAN
友瀬は『性の商品化』は必要悪的なものと思っている。
商品化には反対しないしむしろ賛成寄りだけど流通には気を使え、という意味で、賛同。
でも同時に後者的意味で『(二次元の)萌えキャラという概念』だけを常に悪者にするとなると、納得はしない。
もちろん友瀬はどっちかというと二次元寄りの趣味だから、多少のバイアスはあるとは思うけどさ。
- こと二次元系に話を絞ると。萌えキャラの多くに、『性的表現』があるのは明らか。
- だからこそ、本来マイナーでこっそりやっているジャンルである、と思っている。
- 例えば、今やっているアニメの多くは、友瀬的に『深夜でやれ』と言わざるを得ない。
- そういう意味で、今回の海女キャラは『アウト』です。間違いなく。
- この観点において、、今の萌えキャラの裾野の広げ方には不満を持っているよ。
この海女キャラもそうだし、『クールジャパン』の話も込みで。
- だが同時に、萌えキャラ==性的というのは、短絡的に過ぎる。
- 『セクシー』だけじゃないのよ。『キュート』『プリティ』『ラブリー』など、いろんな感情が含まれるのよ。
- 例えば『ガールズ&パンツァー』とか『異国迷路のクロワーゼ』とか。
萌えキャラ要素はあっても、性的要素はほぼない。
- 例えばフィギュア業界で一大派閥になっている『ねんどろいどシリーズ』は、
元キャラの『セクシー』要素をそぎ落として『プリティ』枠にしている。
- もちろん『一滴の色気』ってのはあるだろうし、それをきっかけにした二次創作だってないとは言わない。
でもそれを言ったら、三次元枠だって『色気のない』創作物なんて本当に極わずかになると思う。
三次元についても根は同じ。
異論がある==『二次元萌えキャラが性的だからアウト』的な立場の人には、
例えばAKBをどう思っているか聞いてみたいよ。
こと『性的に感じる・感じさせる』な話について言うなら、友瀬は例えば秋元康あたりは最悪の人間だと思う。
友瀬が学生時代にやってた『おにゃんこ』にしても、今の『AKB』にしても、
女の子を性的商品にしているという意味では徹底している。
いろんな意味で『小さな』布地を着けて『普通見えないところ』を強調・暗喩させて。
いろんな意味で『恋愛』と『その先』を暗喩する歌を並べて。
『女の子が望んでやっている』もので『女性蔑視』じゃない、という意見もあるかもしれない。
でも、それこそ最初の記事のタイトルの表現を借りれば、
『超ミニスカートに慣れすぎている人が多いので、明らかに性的な含意がある表現だということを忘れがち』
だよ。その格好を望んでしている女の子も含めて。
ご意見などがあれば。