端的にいうと、ラリーニーブンの「魔法シリーズ」の世界観に影響を受けていると思われます。
『終末の』イゼッタ、というタイトルもそれに起因してそう:
このシリーズには『終末は遠くない』という作品があるんですよ。
魔法シリーズを知らない人のために、端的な世界観を書きますと。
- いわゆる『剣と魔法の世界』。
- 主人公は『ウォーロック/戦争を封じるもの』と呼ばれる、非常に力の強い魔法使い。
- その主人公は、さまざまな経験・実験の結果、魔法の存在に関わる『ある根本的な事実』を発見してしまう。
- その事実とは:
魔法は、その土地や空間にある『魔力の元』を消費して発動している。
そしてその『魔力の元』は消耗品で、消費されたら補充されることがない、ということ。
- 同じ場所で何度も魔法を使っていると、その場所で使える『魔力の元』が減っていく。
そのため、魔法はだんだん発動しづらく・効果が低くなっていき。
最終的には、そこでは一切魔法が使えない『死んだ土地』になってしまう。
- それまで誰も気づいてなかったのは、単にその世界が『魔力の元』に満ち溢れていて、誰も『使い果たした』ことがなかった、だけ。
- 彼が気づいたのは『自分の使う魔法が弱くなる→引越しをすると戻る』という事実からの類推。
彼自身が強い魔法使いで、消費量が多かったというのも一因と思われる。
- 主人公は、これを『世界を終わらせてしまう秘密』として隠蔽するが。
時間がたつにつれて、その『消費』はだんだんと広まっていて。
ついには例えば、有名な魔法都市が蛮族に蹂躙されるような事件がおきはじめている。
- わかりますよね。
『魔法都市』はその近辺の魔力を消耗しつくしてしまったのです。
- 主人公は、なんとか打開の方法を探して・・・
・・・というような世界観で、数作が発表されています。
その作品名は『終末は遠くない』とか『魔法の国が消えていく』とか、そんな感じです。
今日の創作業界では、魔術を使用する『燃料』としていわゆる『マナ』を必要とするのは、極々一般的ですが。
ほぼ全ての世界でその燃料は『個人依存、限界量があり、休めば回復する』ものです。
それを『完全な消耗品』として扱っている作品は、わりと珍しいです。
# ちなみに、シリーズ初出は1976年。
# 時期的にたぶん、オイルショックをファンタジー化した、という感じなのかなと思ってます。
・・・とまあ、ここまで説明すると、イゼッタを視聴した方にはわかりますよね。
イゼッタでの魔法もまた、この世界観に則しているわけです。
場所によって魔法の『濃さ』が異なっていて、使えたり使えなかったり。
第二の魔女が事前に『特定エリアの魔力を吸い尽くし、魔法の使えないエリアを作る』ことで、イゼッタを罠にかけたり。
そして最後には、『世界の魔力の元』を全て消費しつくして『終末』を迎えたわけです。
で、友瀬が『イゼッタ』を評価している点の1つは、この『終末を描いた』点です。
実は、ラリーニーブンの作品でも『魔術の終末』そのもの自体は扱っていないんですね。
あちこちに『死んだ土地』ができていて、『遠くない』状況ではありますし。
短編のラストとして『後にその地方では』的な、部分的な終末は語られていますが。
世界全体として終わった、ということは描かれていません。
創作者としては『冒険の余地』を残す気持ちもわからんではないのですが。
きちんと結末を描くという観点において、イゼッタはがんばった、と思うわけです。
・・・まあ、欧州以外には残ってるかもね、という話はありそうですが。
ご意見などがあれば。
まずは改めて、順番問題の本質的なところを確認する。
掛け算の順番問題について、事例をWikipediaから引用。
1つぶんの数×いくつ分で求まるかけ算の文章問題では、「6人のこどもに、1人4こずつみかんをあたえたい。 みかんはいくつあればよいでしょうか。」
という設問に対する、「(しき)6 × 4 = 24(こたえ)24 個」という解答を不正解にすべきかどうか[6]が問題となる。
「順番派」の考え方のポイントは、掛け算を理解するために「1つぶんの数(被乗数)×いくつ分(乗数)」に整理しなさい、ということ。
これに基づいて、上記の場合(1人分の)4x(人数の)6 というふう式を書くことができたなら、『掛け算を理解した』と判断する。
これに対する、友瀬の理解は。
要は『問題の読解→式にする』という能力の習得状況を確認するために、順番というルール・方式を取っているんだろうな、ということ。
出てきた数字をてきとーに並べて 4x6 を立式しても、意図した『問題読解・立式能力の習得』はできているかどうかわからない。
だから「1つ分の数」を先に書いて、「いくつ分」を後に書け、というルールにする。
これができていれば、問題を正しく読解して立式できている、すなわち理解できていると判断できる。
・・・というように。
・・・こう考えると。
いわゆる『交換法則が成り立つんだから順番にこだわるのはアウト』というのは、順番問題への反論としては適切とはいえない。
なぜならば、順番問題の推進派の意図するのは『式を立てる前の問題の捉え方』なので、それは日本語の世界。
そこの解決に数学の交換法則を使おうとしても、通じない。
とはいえやはり、推進派の考え方は、ゆがんでいるように思う。
重要なのは「1つ分とはなにか」「それがいくつ分なのか」を正しく読み取れ、という点。
そこさえ理解していれば、学習要領としての目的は果たされているはず。
そこから先の順番の話は『理解できたかの判断のためにそう書く』という、必然性を感じられないルールに思える。
つーか『順番』で判断するやり方では、それこそ『てきとーにやって』当たる可能性が残っている。
適切な理解ができているかの判断には、式に書かれた順番ではなく。
「1つ分の数は何か?」「それがいくつ分いるのか」「では数式はどう書く?」という段階的設問・解答方式を採用するべきだ。
でね。友瀬の感覚では。
『順番派』の人たちは、「1つ分とはなにか」「それがいくつ分なのか」「それを順番に書け」という『やり方を丸暗記』しているような印象を受けてます。
なぜ、「1つ分は」「いくつ分か」と考えているのかを、理解して・考えて、いない。
だから、それに基づいた『妥当な教育ライン』にたどり着けず、形式的な順番に固執して変な話になっているのでは。
学習要項的に重要なのは、この「1つ分とはなにか」「それがいくつ分なのか」を理解できる、ってことで。
これ、友瀬は『単位系』の話・問題だと思います。
どういうことかというと・・・最初のWiki内問題を元に説明してみます。
- 「1つ分」とは「1人に渡されるみかんの数」です。
- ですから、これを単位も含めて書くと『4個/人(1人あたりx個)』になります。
- 「いくつ分」とは、「わたされる人数」です。
- だから、上記を踏まえた「単位まで意識した数式」は:
4(個/人)x6(人)==24(個)
わかりますかね?
重要なのは「4」「6」の順番じゃない。
「4(個/人)」であったり「6(人)」であったりする、数字に付随する単位・意味なんです。
そしてこれがきちんと理解・把握できていれば、順番なんて関係ない。
そもそも順番自体、言葉の言い回しでどうにでもなる話です:
『みかんを「1人あたり4個ずつ」「6人」に配るには、いくつみかんがいる?』でも。
『「6人」に対して「1人あたり4個ずつ」配るには、いくつみかんがいる?』でも。
答えは同じです。
むしろここで気をつけるべきは、『6(人/個)』とか『4(個)』とかいう、適切ではない単位配分を考えてしまうこと。
こう考えてしまうと、できる式が『6(人/個)x4(個)』とかになってしまい『24(人)』とかいうゆがんだ答えになります。
これは明らかにおかしい、避けるべき結果です。
『4(個/人)x6(個)』とか考えてしまうと、もはや『24(個^2/人)』とかいうわけのわからない状態です。
学ぶべき・避けるべき問題は、これでしょう。
順番問題の別の事例では:乗数・被乗数の観点において『二桁掛け算』の話がでてくるようです。
12x4 は、(論理的には)10x4+2x4。ここでの前半部分は『10x4』であって『4x10』ではない、という意見。
おっしゃることはわかるんですが、これも順番ではなくて単位の話なんです。
上記を筆算する場合『10x4』なんて出てこないですよね:10の位の位置を意識して、1x4を計算しているはずです。
なぜそうなるかというと、『10x4』ってのは『1(単位10)x4(単位1)==4(単位10)』だから、なんです。
同じように考えれば、例えば『12x34』では『2(単位1)x3(単位10)==6(単位10)』とか『1(単位10)x3(単位10)==3(単位100)』とかになる。
繰り返しますが、順番は関係ない。
もちろん、こういう『単位の考え方』を低〜中学年に教えるのは、かなり難しいと思う。
だけど、速度の概念が出てくるころには、知っておくと理解が容易になる考え方で。
その意味で、変な順番に固執せず、数式には書かない「数値・単位の意味」にこそ固執してあげてほしいな、と思う。
ついでに言うと、友瀬の遠い記憶ゆえの思い込みもあるかもしれませんが。
友瀬は、実はこの『単位の重要さ』を教えることが不足しているんじゃないかな、と思ってます。
単位自体は、習いますよ。
メートル、センチメートル、ミリメートル。
平方メートル。アール。ヘクタール。
リットル、デシリットル。
・・・などなど。小学校で習ったことです。
でも、それらの言葉に含まれている意味となると、割といい加減なんじゃないかな。
多くの単位には、それを見ると何が必要な情報かが、書かれているんですよね。
例えば面積の単位『屐戞D垢気涼碓未任△ m の二乗==2回掛なので、『長さx長さ』が基本となることが明示されているわけです。
正確に言うなら『直交する長さ』である必要はありますが。
体積の『m^3』もそう:互いに直交する3方向の長さを掛け合わせたものです。
速度もそう:『時速== m/h』は、長さ(距離)/時間であることが単位をみれば一目瞭然。
最初の問題にあった『1人あたりx個』なんてのは一般的とは言わないですが、それでも(個/人)と書ける単位です。
でも、こんなこと、友瀬は小学校で教えてもらった記憶はないです。
もちろん「二乗・三乗」は確か中学でしょうから、無理という話もあるでしょうけど。
このあたりが伝わってないから、友瀬は正直、小学校時代は以下のようなことで迷ってました。
- 上記のみかん的な問題で。
『4x6==24個』になるのはなぜ?『4x6==24人』にならないの?
- 上記の『時間・距離・速度』の関係も同様。
『距離は時間x速度だっけ?速度/時間だっけ?』みたいな話。
確か、重力加速度だったかな?あのあたりを学んでいるときに単位を見て『再発見』したんです。
結果、いろいろ氷解・理解できました:特に速度まわり。
ご意見などがあれば。
- というか、改めて見てもおかしいよな。
単位をそろえるのが寛容って、じゃあ『縦2僉横4僂猟絞形の面積は?』って問題があったらどうするんだろう。面積の単位であるc屬禄仟蠅涼罎砲覆いら『単位をそろえる』って不可能だよね。
かといって『その場合両方に書くんだ』とかいうと、最初のだって『6傳2箱』って書かないとダメで、それだと単位は 箱 みたいな謎単位になるよ。 -- ともせ%管理人。
- Tweetが消えた場合に備えて内容を簡単に書くと、『箱1つの長さが6僂里箸、その箱を2つ並べたら合計長さはいくつになる?』という問題。
掛け算順番派の意見はこの状況に対して
「6cmx2だから12僉△海譴正しい」「(この順番を無視して)2箱x6だと12箱になっておかしい」というもの。そしてこの考え方に『単位計算は先の数字と答の単位を揃える事が大切。文章題の基礎を築きます』とまで主張している。
これに対する友瀬のコメントは
「1箱あたり6僉△修譴2箱なんだから、単位まで考えるのなら 6(cm/箱)x2(箱)=12(僉法廖屬海譴狼媾腓 4(箱)x6(/箱)でも同じ12(cm) だよ」ということ。
まともに単位を考えていないような状態に見受けられるのに『単位をそろえる』というのが、こー。 -- ともせ%管理人。
- 事後メモ。
たまたまですが、友瀬の『教える側が単位を考えていない/間違っているのでは』という推論を裏付けるようなTweetがあったので、それについて追記共有。
https://twitter.com/Tomose/status/1201980126218424321 -- ともせ%管理人。
「東大問題に挑戦するAI」では現状「文章の意味を理解する」ことはほぼ不可能で、それを求められる国語や英語が苦手。
そのため他の教科よりも偏差値が低い結果になっているが、それでも偏差値50近くとれている。
ということは、実は「文章の意味を理解する」ことがAIよりも下手な人が多いのでは、という話。
・・・と、この流れであと2行コメントのつもりだったんですが。
そこにあった事例があまりに衝撃的だったので、ここに引用しておきます。
実際に問題を学生に出して・解答してもらった統計です。
・・・そうね。皆さんにも「読解」してもらいましょう:
回答と正解率は折りたたみにしておきます。
■問題
仏教は東南アジア、東アジアに、キリスト教はヨーロッパ、
南北アメリカ、オセアニアに、イスラム教は北アフリカ、西
アジア、中央アジア、東南アジアに主に広がっている。
オセアニアに広がっているのは( )である
・回答は4択問題。選択肢は以下。
ヒンドゥー教
キリスト教
イスラム教
仏教
▼■回答
▲■回答
▼■正解率は?
▲■正解率は?
高校生で8割。
なお、間違った2割は「仏教」と回答。
どうですかね?
確かに、出題文章は読点や改行の位置が嫌らしく、「目がすべる」感じはあります。
たぶん誤答も「ヨーロッパ」「キリスト教」が「すべって」見落としたんだろうな、という気はしますし。
その意味で「あえて誤読を起こしやすくしている」問題なのかな、とは思いますが。
でも、それでも、この正解率には正直愕然としました。
これが伝わらないってのは、日常の意思疎通に苦労するような気がする。
まあ、Webなどでの記事発表している身としては。
紛らわしい表現・記載は避けないとダメだなぁ、という感じですかね。
ご意見などがあれば。