多くのゲームでは『ゲームの後半に行くほど、使えるリソースや決定力が増大する』メカニズムを採用しています。
例えば『モノポリー』では『1週ごとに資産が$200増え』、その蓄積で得た資産力を元に『止まると破産するほどのホテルを建てる』ようになっています。
M:tG もその例にもれず、『必要なマナが大きな呪文ほど決定力が大きい』ということを前提に。
ゲームが進むにつれて『だんだん土地==使えるマナが増える』という『1ターンに使えるリソース』の増加があり。
つまり、ある程度の土地が並ぶまでは大技は出ない/土地が並ぶと大技が出る、というようなデザインです。
この観点を見ると、フリースペルの発想点も理解できてきます。
フリースペルは最終的には無料で使用できますが。
それを使うためには『元ネタともいうべき、同じ効果の通常の呪文』に比べて2マナ程度高いコストが支払えなければなりません。
つまり『元ネタ』呪文に比べて、『2手番(以上)遅くなる代わりに、安価(最終的に無料)』という特性があります。
別の言い方をすると、『そのマナが使える時期の呪文としては、効果自体は弱い』ということです。
2手番(以上)早く、『元ネタ』呪文を使っていれば勝てたかもしれないと思えば、出遅れた分安くしてもいいんじゃないか。
そういう発想があったのではないかと思いました。
ただ、M:tGはやっぱりカードゲームなんですね。
いろんな観点で、この『使える時期』ってのがあてにならない。
例えば『緑などでのマナ生産力加速』があれば、普通のデッキよりも早い時期に使えることもある。
例えば『そのカードを引けなければ』マナがあっても使えない:期待時期よりも遅くなることはざらです。
ですが同時に、サーチ系のカードを使えばカードは手に入ります。
極端に早く使える必要はない:『元ネタ』と同じタイミングで使用できるだけで、『無料』な分あきらかに強くなるわけです。
また、これは前回の記事にも書いたんですが。
M:tGは『呪文1つ撃って終わり』じゃないんですね:1ターンに複数の呪文を使うことで畳みかけることができる。
フリースペルは『無料』なので、その手番に普通にできることに加えて利用できてしまう。
個々の効果は小さくても、連続して使えることで相乗的に強くなる、そんなことも少なくないわけです。
ご意見などがあれば。
“上司なりすまし”被害も 深刻化する偽動画「ディープフェイク」の脅威
https://www.itmedia.co.jp/business/articles/1907/25/news023.html
AIによって「リアルな偽動画」が作れるようになってきて、それがフェイクニュース的になっている、という話。
著名人が『本人なら言わない』ようなことを発言してるとか、いわゆるエロ動画に出ているとか、そういう類。
昔の映画『トータルリコール』に、技術が追い付いたというところ。
何が本物かを見抜くのは難しいので、なかなか怖いものがある。
「2画面ノート」流行るでしょうか?
https://ascii.jp/elem/000/001/932/1932294/
「2画面ノート」とは、いわゆるノートPCのキーボード側に表示部を持つモノのこと。
パネル位置は製品によって「一般的スライドパッドを表示部兼用」や「キー配列を全体に手前に寄せて上側に置く」など。
任天堂DSやソニーの2画面タブレットなど、この手のモノ自体は以前からあり、友瀬的には大好物だけど。
DSのような「特化製品」でないと、周りがついてこなくていまいち・・・という感じになりがち。
デュアルディスプレイは許容されるのに、なんでだろう、という感じがしてます。
タッチ操作は使いにくかった? 米海軍が駆逐艦の操作を“アナログ”に戻す決断の教訓
https://wired.jp/2019/08/21/no-more-screen-time-navy-reverts-physical-throttles-versotrue/
タッチパネルによる操縦系を作ったが、衝突事故が発生してしまった。
原因調査の結果『設計、テスト、訓練の3つが不十分』という理由だったらしい。
タッチ操作はよく『直観的にわかりやすい』と言われているが、それに対する反証と言えるだろう。
もちろん、慣れ親しんだ物理的な操舵系vsよくわからない新システムという心理的抵抗はあるにせよ。
少なくとも操艦の観点では、『習熟する』というレベルで難しいということなのだから。
大量のbotが作った「架空の交通渋滞」 イスラエルで起きたハッキングと人間の「反脆弱性」
https://www.itmedia.co.jp/news/articles/1908/05/news038.html
交通管理システムをハックして間違った情報を流し「誤認識して渋滞」を引き起こした、という実験に基づく考察記事。
「画面の中にある情報を信じてしまう」ということに対して。
それを疑って「本当は混んでない道を行く」人、「反脆弱性」があると考える。
難しいところ:本質的には情報は『信じる』前提でないとならないと考えるが。
その結果『全員が集中する』のは愚劣なんだよね。小学生のサッカー。
ご意見などがあれば。