日記/2007-11-05
技術にベクトルはないが、ベクトルを考えなくていいわけではない。†
「他の人がやっているから、俺もやっていい」という理屈は、無条件には成立しない。
たとえ10km/hオーバーだって、ルール違反はルール違反だ。
「強制力のあるルールがないから、なんでもやっていい」という理屈は、無条件には成立しない。
禁煙席でタバコを吸ったら、文句を言われて当たり前だ。
「見つからなければ、なにをやってもいい」という理屈は、無条件には成立しない。
つーか、それで散々話題になってるわけだよね、この国は。
道具は使い方によって善意にも悪意にも使える。
道具を作る側は、使う側の善意を期待するしかないのは現実。
だがだからといって、
「この包丁は、生きてる人間の肉だって切れるよ!だけどそれはダメだからね!」
・・・なんて売り方が許されるかというと、違うだろう。
技術も同じ:基本的に技術そのものには善悪はないが、それを悪意を持って使えば。
人類はこれまでにも、いろんな痛い目を自分自身で負っている。
いつも言っていることだが、友瀬だって所詮は人の子。
100%いいことしかしない、なんて嘘をつく気はない。
上に書いてあることだって、自分で言ってて痛いこともあるけどね。
だけど、どうしようもないほどにずれたことだけはしたくない。
そう、思っている。
「あたた」と叫ばせたことはある。†
24年前のパソコンで初音ミクに挑戦した勇者たち
http://labaq.com/archives/50805348.html
ああ。これは、当時を知る身としては、感慨深い記事だ。
ごちゃごちゃした解説は書かん。
そういう世代だと思う人が見て、そういう思いを共感してもらえれば、それで十分だ。
・・・しょせん、年寄りの感傷のようなものだしな。